私はFIREを目指しているくせに、サラリーマンであることに感謝しています。
20代後半ぐらいから頭の中をたまによぎる考えがあって、それは
サラリーマンはつらいことだらけ。
でも、今身に付いているスキルもサラリーマンのおかげだったなあ…
ということ。
サラリーマンをしていると、至る所にストレスの種が埋まっています。
長時間残業であったり、人間関係の摩擦であったり…
辞めたいと思う瞬間はしょっちゅうありますね。
でも数日過ぎて冷静になると、
まあ、サラリーマンもけして悪くはない
と切り替えられる。
なぜなら、学生上がりの文系、何も持たない自分の成長を促してくれたのも、間違いなくサラリーマン生活だったからです。
書く楽しさを知れたサラリーマン生活
サラリーマン生活が私に与えてくれたものは数多くありますが、一つ挙げるならそれは「文章を書く楽しさ、読んでもらう楽しさ」。
新卒で入庁した市役所で働いていた頃は、とにかく文章を書く機会に恵まれました。
庁内外へ送るメール作成に始まり、
- 通知文
- SNSの投稿記事
- イベント進行のシナリオなどなど…
入庁したころから
書いて、悩んで、書いて、悩んで、
上司や先輩に赤ペンを入れてもらって、直して、発信する
毎日のように、実践修行を繰り返してきました。
学生時代は文章なんてろくに書いたことがなく
「こんな大変なことってないな」
と何度思ったでしょうか。
共感してもらえるか分かりませんが、文章を書くにあたって悩むポイントはたくさんあります。
どうしたら誤解なく伝わるだろうとか、読みやすくするにはどうしたらいいだろうとか、一つ一つを突き詰め出したらキリがなくて、ドツボにはまると単語の使い方一つで1時間以上もかかってしまう。
正解が分からないし、しかもそれは複数存在しているので
あーでもない、こーでもないと手探りでもがいて、
時には帰り道やお風呂に入りながらも考え続けて、なんとか自分なりの意図を組み立てて一つの形を絞り出す。
そうして誕生した苦心の末の成果品を「いいやん!」とか「分かりやすい!」とか褒めてもらえるようなことがあれば、とんでもない達成感に包まれる。
「悩んで、立ち向かって、よかった!」と心底思える。
最初はまるで興味のなかった「書くこと」ですが、仕事を通して接しているうちにいつのまにかその達成感のとりこになっていました。
このやりがいは、サラリーマン生活が私にくれた貴重なプレゼントの一つです。
キツイ仕事が自分の器を広げてくれた
「若い時の苦労は買ってでもせよ」という言葉がありますが、
苦労するのが目に見えているときに、自ら飛び込んでいけるほどメンタルの強い人ばかりではないでしょう。
でも、サラリーマンは幸か不幸か、その苦労に直面する機会にあふれています。
文章を書いた経験がなくても、四六時中、書かされることだってあります。
正直、指示が下りてきたときに面食らったり、手が止まったりする仕事は自分にとって、間違いなくキツイ仕事。
ただ、「仕事だからやるっきゃない」と腹をくくって受け止めたことが身になり、振り返れば「あれが転機になった」と思うことが少なからずあります。
もし「こんなもんでいっか~」と書くことに対して真剣に向き合うことをやめていれば、今ほど、文章に思い入れはなかったでしょう。
自分の知らなかった可能性と出会うきっかけは、狭まっていたように思えてならないのです。
向き合うべき「キツイ」の種類
なら、キツイ仕事であればなんでも向き合うべき価値があるのかというと、けしてそうでもありません。
ただひたすらに量が多いだけの仕事は、残業時間に比例して自分の時間や心身を犠牲にするだけ。成長を実感できたと思う仕事には、ゴールへ行き着くまでに思考を巡らす余地があったように思います。
慣れた仕事は手順を覚えているから早く終わるし楽。でも、こなすだけで終わってしまい、自分の内側に残るものはあまりありませんでした。
骨が折れる思いは、もちろんしたくない。
ただサラリーマンは、自分の意思に関係なく苦労の機会が降ってきますね。
どうせやらなければならないのなら
「これは成長のチャンスなんだ」
とせめて前向きに取り組むことが、今後の可能性につながるか、今かぎりの仕事で終わるのかの分水嶺となり得るのではないでしょうか。
考え方によっては、勝手に経験を積ませてくれるなんてサラリーマンも恵まれているなぁとたま~に思うのです。
▼市役所を辞めた感想を書き記しました
関連記事:公務員(市役所)を退職して後悔しているか考えてみた